オスカー君の病状進行
- iamdiver02
- 6月19日
- 読了時間: 3分
ついに、オスカー君とのお別れが近くなってきた。私はラウンジでほとんど寝ずにつきそっていた。特に夜は苦しいのかオスカー君は安らかに寝ることはなくなってきた。一晩中付き添って、後ろ足が崩れてしまって上手く歩けないオスカー君を外に連れ出してトイレをさせる。こんなになっても、外でトイレをしようと、転んでも転んでも起き上がって、ドッグドアに行こうと必死だ。涙がでてくる。家の中で済ませてもいいのに。。。
私の寝ているソファーの脇をはなれない。そばでハアハアと浅く早い呼吸をしている。触ってあげると気持ちよさそうにしている。食べられないから、骨と皮だけになった。
今日、ビーチに行き、カートに載せてオスカー君を運んでいたが、最後にちょっと深めの海の中に連れて行った。浮力で足も自由に動くし、泳ぐこともできる。嬉しそうに歩いているオスカー君を見てママもハッピーになる。
途中でいつも会うカブードルのチャリーのパパが獣医に連れて行くの?と。これは安楽死させるのということだ。私はにっこり笑って、私が面倒見れるからと。
グーグルしたり、獣医と話したり、友人と話したりするなかで、quality of life という言葉が良く出てくる。Quality of life がなくなったら、安楽死させるのが人道的だとか。確かに、私も今週はほとんど寝てない。家で仕事をしているからいいようなものの、仕事があったら、無理だなって。そこで、このquality of lifeは果たしてペット自身のものか、人間のものか??つまり、ラウンジで寝て、心地良いとはいえない。疲れた。眠い。だるい。ベッドで寝たい。。私にはquality of life は現在ない。でも、私がいる限りはオスカー君を外に連れ出すこともできるし、どちらかと言うと、私のquality of life の方が低い。
ペットの安楽死はともすれば、人間の都合、人間のquality of life を保つために間違って使われることがあるのではないかとの疑問が浮き上がってきた。
確かに、友人の猫。。彼女は彼女の猫の腎臓機能がなくなるのを待って、安楽死させた。もちろん腎臓が機能しなければ、それでおしまいだから。。それは受け入れられる。A-さんのワンコ。もう年取ったし。。って、まだ、足もしっかりしてるし。。なんて思っているうちにかわいいワンコの赤ちゃんが加わって、老いたワンコは安楽死。。やはり、気軽に安楽死させられるところにいるならばこそ何か基準があってもいいのではないかなと思った。でなければ、人間のquality of lifeのためにペットは犠牲になることになる。
















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